2012年1月16日月曜日

地域包括ケアの先駆者から学ぶべきことについて

昨年12月1-2日にかけて、高知市保健所長堀川俊一さんにインタヴューする機会に恵まれました。これは、昨年2月に掲載された松田晋哉さんと私との対談企画の積み残しでもありました。というのは、当初、堀川、松田、私の鼎談が企画されていたためです。結局日程の関係で実現できなかった部分を、医学書院の編集者が覚えていて(?)、再度企画を持ちかけてくださったことで今回の企画が実現しました。

堀川さんは、全国的にも有名になっている「いきいき百歳体操」の発案者です。この体操は、従来から存在する幾多の健康体操とは一線を画する浸透力に、多くの研究者・行政担当者が注目しているものです。中でも重要なのが、この体操の普及のメソッドが、保健師が伝承してきたノウハウを上手に活かしている点でした。私は、堀川さんから、この「いきいき百歳体操」の有効性だけでなく、地域保健(公衆衛生)が効果を挙げる条件や、保健師に期待される役割について、これまで多くを学んできました。

そして今回、直接長時間にわたるインタヴューをさせて頂く機会を得ることができたので、いかにして堀川さんが、地域保健、地域包括ケアの先駆者としての公衆衛生医となられたのかについても、直接伺うことができました。

詳しくは『医学界新聞』(2012年1月30日号, 医学書院)でご覧頂ければと思います。いきいき百歳体操に関する記事と、堀川さんへのロングインタヴューを読むことができます。

医学界新聞サイトでも全文お読みいただけます
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperTop.do

以下は、インタヴューにつけた私の解説(?)文の原稿です。

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ヘルスケアの世界では、現在「地域包括ケア」の構築が大きなテーマとなっているが、それは今日突如として現れてきているものではない。メインストリームとはいえなかったかもしれないが、戦後だけみても地域包括ケアに連なるさまざまな実践を見出すことができる。おそらく、佐久総合、諏訪中央、柳原、御調などはその代表的な存在であろう。だがこれら以外にも、ことさらにそれと主張することなく、営々と地域的で包括的なケアを追求してきた医療者も少なくない。堀川さんもその1人といえるだろう。

これらの人々には1つの共通点があるように思う。それは、治療医学の権威を「絶対のもの」として受け止めずにいられる条件に恵まれていた(今日的観点からみればということだが)ということである。地域ケアや包括ケアという考え方は、治療医学それ自体からは出てこない考え方である。ところが、彼らが医療現場に入った当時は、医療の中心部は、依然として治療医学の圧倒的な権威下にあった。このような状況において、医療の権威から離れるためには、医療者は医学のさらに上位の実践原理をもたなければならなかった。その意味では、今日地域包括ケアの先駆とみなされている人々が、左翼思想の洗礼を受けていることが多いのは偶然ではないだろう。というのも、これらの人々は、人々の中に分け入ってゆこうとする「ヴ・ナロード」思想に代表される民衆共感的思想を背景に、治療医学的権威・大学的権威から結果的に離れることができたからである。堀川さんも、このような思想に支えられる形で今日の医療の先駆となった1人であるといえるかもしれない。

さて、上のインタヴューや堀川さんのキャリアから、私たちは何を受け取ることができるだろうか。私個人の見方ということで、以下2点指摘させていただきたいと思う。

第1に、堀川さんを含む先駆者たちは地域包括ケアの原則を見つけそれに基づいて実践してきた人々だということである。今日の「地域包括ケア」論議は、厚労省が提示してきている「ケアモデル」をどのように導入するかといった形で進められている。その結果、「地域包括ケア」とは、提案されている「ケアモデル」事業を実施することであるという表層的な理解が広がっているようにみえる。だが、地域包括ケアの核心は事業にはない。地域ごとに異なる住民の抱える健康課題、ケア資源のあり方、住民の指向、経済力などによって事業のやり方は多様であるはずで、地域包括ケアとは地域ごとにケアのあり方を構築するところに本義があるはずだからである。

その意味では、私は今日提案されている「ケアモデル」よりも、堀川さんのような先達が依拠した原則を学ぶことの方が、地域包括ケアの構築という課題に取り組む際の利益は大きいと考えている。では、原則とは何か。それは、地域包括ケアとは、医学を地域住民に適用しようとすることではなく、地域住民のために医学その他の支援技法をどのように使うことができるかを考えること、ということである。このような思考は「生活モデル」的思考と言い換えることができる。彼らが地域包括ケアの先駆にみえるのは、そのような思考によるケアを実践した必然的結果として、彼らの創り上げたケアが、地域的で包括的な内容をもったためである。つまり、「ケアモデル」とは原則に基づく実践が生みだした結果に過ぎない。

第2に、第1の系論ともいえる点であるが、堀川さんのインタヴューは、保健とは何かについて重要な論点を提出していると思う。それは、保健事業の集合体が保健なのか、保健事業を利用して住民の健康を支えるのが保健なのか、という問題である。

今日保健は膨大な事業を抱える領域となってきている。深刻なのは、その結果、厚労省から下達されたものの地域の実情に合わない事業によって、効果的な保健活動がクラウドアウトされて(締め出されて)しまう可能性があるということである。この問題の根本にあるのは、もちろん、地域保健を中央集権的に企画することにあるが、他方で、自治体の側が厚労省の通達などを「真に受けて」そのままやろうとすることにも原因がある。この点、堀川さんは、高知市の保健師から「戦略家」と称されているように、地域保健を効果的に実施するために、厚労省から下達された事業を活用しながらも、効果的な地域保健を実現する上で効果的な選択と集中に基づく方策を立案している。堀川さんの仕事が示しているのは、保健事業特に国から与えられた事業は従うものではなく利用するものであるということ、そしてそのような戦略立案拠点が地域ごとに必要であるということであるといえるのではないか。

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