2010年10月6日水曜日

助産師に期待される母親をつくる役割

『助産雑誌』2010年10月号に、拙著「ヘルスケアの歴史的転換と助産師」が掲載されました。これは、ゆえあって去る3月の助産学会のパネルに呼ばれた際に、私からみると、助産師の潜在的な可能性は、分娩よりも母親をつくる部分にあるようにみえる、という議論をしたことが発端となって実現したものでした。医学書院の担当者が私の議論を面白がってくださったことから、「母性・父性をはぐくむ 助産師に求められる役割」という特集に加えて頂くことになりました。

助産師の多くは、基本的に分娩に際しての技倆に強い誇りをもっているようにみえます。助産師は、妊娠時から産後に至るまで比較的長期にわたって妊産婦に関わりますが、時間軸上の1点である分娩がそれほど重要なのか、この点については今のところ私にはよく理解できていません。ただ、いずれにせよ助産師のみなさんの職業アイデンティティを支える中心が分娩にあるということはたしかなようです。

問題は、このような職業アイデンティティのあり方は、産科医の専門性と正面から競合してしまうということです。助産師と産科医ではどちらの方が安全なお産の支援者として優れているでしょうか。この問いに対する正解はともかくとして、一般の人びとが産科医の方がより高度な専門家であると認識していることは間違いないでしょう。そして、医学は今後とも進歩を続けますので、安全の担い手として争う限り、時間は助産師にとって不利に作用するといえるでしょう。さらに高齢出産が増え、ハイリスクの妊産婦の割合が増えて行くという事情も、人びとの産科医への依存を高める要因の1つです。したがって安全という一点で出産を捉える限り、産婦人科医の助産師に対する優位は動かしがたいとみなければなりません。

このような文脈においては、助産外来や院内助産所は、産科医不足への次善策にすぎず(最善策は産科医を増やすこと)、将来また産科医が増えて行くことがあれば、それらは「やっぱりいらない」ということにならざるを得ないということになります。

とすれば、やはり助産師は産科医に従属する存在として今後も生きて行くべきということになるのでしょうか。私は助産師には産科医には絶対真似できない独自の強みがあるように思います。それが「母親をつくる」役割です。これは現在では多くの助産師が放棄している機能で、助産師としてはきわめて少数派である開業助産師にある程度引き継がれているだけのものです。

開業助産師の仕事をみますと、妊娠から出産まで、出産という大事業の協働者として妊産婦に随伴します。一般に困難を共に乗り越える経験から強い絆が生まれる傾向がありますので、この開業助産師と妊産婦の関係は、強い紐帯を形成する可能性の高い関係であるということになります。

子どもを産んだ女性のすべてが、スムーズに母親役割に適応できるわけではありません。また相対的に母親役割をスムーズに取得した女性でも、悩みを抱えながら子育てするのが普通でしょう。女性が母親になる上でのこのような困難を緩和する上で、開業助産師が妊産婦と取り結ぶような強い紐帯は、重要な役割を果たすことが期待できると思います。

この紐帯形成の機能を職業アイデンティティの中に適切に位置づけることができたとき、助産師は母親をつくる職業となります。そして、このような職業アイデンティティは産科医には持ちえないものでもあります。さらにこのような強力な紐帯による母親支援機能は、他の福祉サービスでも実現が難しいものです。

開業助産師や助産所を増やすべきかどうかはわかりません。ただ、いずれにせよ、妊産婦に随伴する助産師をどのようにつくるかが課題とされるべきでしょう。また、ローリスク妊婦は助産師へ、ハイリスク妊婦は医師へと振り分けるというよく見受けられる考え方は、母親をつくる機能を発展させる上では阻害要因となるでしょう。母親になる上での困難を抱える女性は、ローリスク集団にもハイリスク集団にも同じ割合で含まれていると考えるべきだからです。

上の議論はまだまだ仮設的なもので、今後分厚い調査研究を積み上げて行く必要があります。とはいえ、私は今後の助産に関する政策を考えて行く上で、有効性の高い視角であると思っています。私の提示したパースペクティヴを肯定的にでも批判的にでもよいので、真剣に検討する方々が現れることを期待したいと思います。

なお、本文ではもう少しいろいろなことを書いていますので、ご関心のある方は拙稿をご笑覧いただけると幸いです。

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